ワタシが好きな番組のひとつ・・・・・・
「行列の出来る法律相談室」で紹介していた、木山裕策さんの「home」と言う歌がヒットしている。
今朝のテレビでやって居たのを見た。
久々に「ジャパニーズ・ドリーム」を見せて頂いている様で、心が清々しくなった。
かく言うワタシもこのブログでご紹介の通り、作詞・作曲が趣味なもので、何となく他人事と思えないし、年齢もそれ程大きく離れて居ないので、更にこの事は友達の出世のように嬉しく思える。
歌えない病気を克服⇒コンテスト落選後再チャレンジ⇒家族が応援⇒メジャーヒット
そんな盆と正月が一緒にやって来たような状況
そして「家族の絆」が見える背景・・・・・羨ましすぎる
まだ、日本にも夢があったんだ。
かつてワタシも、某楽器メーカーのアマチュア登竜門と呼ばれるコンテストに出た。
高校時代は3年間、ひたすら曲を書いて応募した。
やはり詞も曲もありきたりだったのか落選を続けた。
しかし皮肉な事に・・・・・・
高校を卒業後、ワタシの曲が
「別な人の名前」で「ワタシが参加しないで」
応募し続けてきた登竜門コンテストで、大きな大会まで進出した。
当然著作権は・・・・・
それ以来しばらくワタシはコンテスト活動も、作詞作曲活動も止めた。
かなりのショックだったから。
少し落ち着いて、23歳の頃から再び曲を書き始めた。
それまでは、いわゆる「ニューミュージック系」であった。
再び人に奪われないように「ロック系」のあまりヒット路線を狙えない歌を書き始めた。
再度コンテストの応募活動も行った。
「30歳まで、一度でいいからメジャーな処でこの仲間と演奏してみたい。」
それだけを夢見て。
しかし、再び作詞作曲活動どころか、コンテスト活動も止た。
スタジオのみで活動しようと決めざるを得なくなった時期が来る。
それは年齢ではなく、周囲環境であった。
10年以上経過したので「時効」って事で書き殴ってみます。
某国営放送のコンテストに出た際、偶然にもワタシの友達が審査員を務めて居た時があった。
ワタシのバンド名は「西洋狂喜楽団・NG」
音楽スタイルは「ハード・ロックンロール」
(曲はオリジナル~作品「外国人」参照)
演奏スタイルは「チョッとしたコミカルスタイル」
こんな条件の中、我々としてもある意味完璧なステージングで演奏をこなした。
同じ出演者からも「凄いですね!優勝候補だけある」と褒められていた。
そして発表の時を迎える・・・・・
「まず今回特別に設けた審査員特別賞の発表です!」
そして我々の名前が呼ばれた。
??????? 何で
表彰に立つ審査委員長は何故かソッポを向き、不満そうな態度だった。
その「生々しい理由」をワタシは後で審査員を務める友人から聞く。
今回は、審査委員長の女性雑誌編集長以外、お前達を選んだんだよ。
だからあまり落ち込むな。
もしもこんなコミカルで下品なバンドが東北大会に進むなら
私は次回からこの審査委員長の席を降ろさせてもらいます。
ロックは格好良い物です
そんな事をヒステリックに大きな声で言われてみろよ。俺達が押せる訳無いだろう。
結局、曲の良し悪しでなくて、周囲環境だけが評価される業界なんだ。
まあ、こんなもんだとあきらめて、お上品なコンテストのエントリーは止める事だな。
余りにも衝撃的な話で、言葉を失ってしまった。
確かに「ダディ竹千代と東京おとぼけキャッツ」の方向性を走っていた。
コミカルな動きだけど、格好悪いけど・・・・・・
ロックをもっと判りやすく解釈して皆に聞いて欲しい。ノッて欲しい。
それまでもコンテストの各審査員から
「まるで普通のステージみたいですね」
移動サーカスのピエロの様に言われていた。
それは全国大会に出場する為のコンテストに反する事なんだと。
確かにデーモン小暮閣下やX-JAPANが日本のロックの王道だったしな~・・・・・
更にその年にエントリーした、地元テレビ局のコンテストでも、悲しい話を聞く事になる。
我々はやはり優勝出来ず「最優秀ベーシスト賞」をメンバーが受賞した。
審査員と話をする機会があった。
イカ天でも有名だった審査委員長に直接話を聞くことが出来た。
我々はアマチュアを採掘する目的でやって来たんだ。
おたくらは年齢的に言ってもセミプロでしょ?
優勝を目指すとかの問題ではなくその時点で審査から外れるんですよ。
とりあえず、該当者が現れなかったベース部門に我々のメンバーが宛がわれただけの話であった。
振り返れば、ワタシのバンドは地区大会の「万年二位」であった。
演奏をする人間にとってだけ魅力的だったかも知れないが、一般受けは?だったのかも知れない。
その時「周囲環境」の意味がようやくわかった気がした。
そしてワタシのコンテスト人生に終止符を打ち、気楽な発表会のみの演奏へと姿を変えた。
今は「バラード路線」「ニューミュージック路線」の自己満足だけの曲作りをしている。
そんな自分の今までを振り返り、木山裕策さんがどんどんメディアに出る事が何となく嬉しい。
正直言えば「羨ましい」のではあるが・・・・・・
何となく「日本も捨てたもんじゃないな」と考えてしまう。
皮肉屋のワタシが、心から知らない他人を祝福している不思議さもあるが・・・・・
きっとまだまだ「ジャパニーズ・ドリーム」はあると思う。
だから夢を持ち続けなくてはいけないのであろう。
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