あまり面白いテレビが無かった今日、たまたまNHK教育テレビを見た。
パパイヤ鈴木が出て居て、子供の絵を評価していた番組であった。
それを見ながら、過去に「ゆとり教育」って教育指導方針があった事を思い出した。
・・・・・突然怒りが込上げて来た。
指導力を無くし、クレームを付けられない逃げ方をマニュアル化
責任を放棄し、教育現場を塾に預けてしまった文部省が出した・・・
その結果打ち出した「ゆとり教育」
その当時のワタシはそう理解していた。
その結果は現在、社会に徐々に反映し始まっている。決して良い方向でなく。
「学校給食の未払問題」「PTAのクレーマー化」
この二つだけ取って見ても・・・
「競争社会の牙抜き」であった「ゆとり教育」とやらが原点だったのではないか?
「お金を払おうと払うまいと、給食を提供するのは、義務教育の義務なんじゃないの?」
「うちの子供が学校から変な差別を受けているんじゃないの?」
真に受けるほうが間違っているクレームと、真意の不履行者が増え続ける現実・・・・
そんな姿を親が曝すから、馬鹿な子供が増える。
「馬鹿な子供」そんな事を言っているうちはまだ良い。
子供はやがて大人になる自然の摂理を考えれば「馬鹿な人間」が日に日に増殖する。
現に「ゆとり教育」って奴で人間の螺子を外された「昔の子供」は間もなく20歳を迎える。
「ゆとり教育」を作った方々は・・・
現在社会に出た彼等・彼女等の認識と行動を見て、考えた事があるだろうか?
友人も嘆いていた・・・・
ゆとり教育って馬鹿げた制度に
「息子の年代の子供たちを、ある意味自己解析出来ない人間にしてしまった。」
「家の手伝いをさせようとしても、まずはマニュアルだ何だと変に理屈っぽくした。」
「言われたら言われた事しか出来なくなった。」
「危険を知って居ても言われてないと責任回避する。」
多分そんな人間は、たった一人の例外では無いはず。
最悪な結果は「子供を産んでしまった大人子供の殺人」がそうなのではないか?
子供を「売り物の機械」のように考えた。
マニュアルがないから、どうしていいかわからないから、錯乱し、殺してしまう。
もちろん誰にも聞かない、聞けないってのは「自己解析不可能」の顛末である。
それが「間違った教育方針の形成」の末路だと考えないのか?
「何故親が教えなかった」
そんな言葉で、家庭環境のせいにばかりするんじゃない!
お前たちが打ち出した教育方針って奴がそうさせたものじゃないの?
そう言いたくなる。
ワタシは教育者ではない。
しかし、学校法人の理事を任命されている立場。
様々な「幼児教育」の現場を体験させて頂く。
それを考えると「ゆとり教育」ってもんは「幼児教育」にだけ有り得るもの。
それ以上の学年にはありえない方針だったのではないかと考える。
今のちいさな子供達は、あまりにも夢が無さ過ぎてかわいそうだ。
絵を描いても誉める大人・先生が少なくなったからであろう。
例え下手でも個性を追求し、何でも誉めてやるべき時期があると思う。
誉められると努力する・・・みんな昔を忘れてしまったのだろうか?
ただ、間違った事を「これはいけない」と教えながらであるが。
今の大人は本末転倒になって居る方々が多いのが現状である。
「うちの子供を怒らないで下さい」と「悪い事をした子供」の自覚が無い。
ファミリーレストランにワタシが行かない、行けない、そんな理由。
幼児教育さえしっかりしていれば、小学校での「競争社会」に耐えられる。
そして、中学校での「受験戦争」に参加出来る。
高校での「社会への耐久競争訓練」に参加出来る。
様々な競争プロセスを経て、社会での競争に参加する。
そしてより良い社会形勢作りの参加となるのではないか?
森と人間の心は「すっぱり切るのは簡単・育てるのは難しい」事を忘れた結果であろう。
今からでも遅くない。
文部科学省は何とかして欲しい。
こんな人間形成では、税金を払う奴が居なくなる⇒国家崩壊になるだろうから
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