ワタシは運動が大嫌いだ。特に走るのが大嫌いだ。
スポーツらしい事と言えば「いつ人から襲われても殴り返せるように」との筋トレしか行って居ない。
(怪しい・・・・?)
だからマラソンは多分死んでも参加しない。
中学・高校と、無理繰りヤラされてきたので、余計に嫌いになったから。
何故、苦しい思いまでして走らなくてはならないのか、意味がわからない。
でも、そんな思いまでして走る人は尊敬に値すると思っている。
人の出来ない事をやって居ると思うからである。
東国原さんは宮崎県知事、いや、宮崎県の社長として日々マスコミを賑わしている。
「芸能人だったから」と酷評する輩も沢山いらっしゃるが・・・・・
しかし、幾らパフォーマンスとは言え、マラソンに参加するってのは偉いと感じてしまった。
自らの肉体を酷使し、42.195Kmを走るのだから・・・・
ワタシは途中リタイアしてしまった人間だから、尚更偉さを感じてしまう。
それを見て考えた事。
東国原宮崎県知事を、他の都道府県知事は何と見ているのだろう?
各市町村長・参議院/衆議院議員は何と見ているのだろう?
大半の方々は「またパフォーマンスだ」とせせら笑って居るだろう。
何故危機感を感じないのか?
報道されないって事は、誰一人走ってないって事・・・・・
別な意味で「走る」って事を解釈すると、経済活動もそれに値すると考える。
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◇日本中が走った歴史?◇
●昭和35年
池田勇人内閣が誕生!
高度経済成長政策と所得倍増政策と言う路線を敷いて国民を走らせようとした。
そして、国民全員参加のマラソンがスタートを切った!
●昭和39年
東京オリンピックでアベベ選手が裸足で走り、円谷選手が銅メダルの快挙を成し遂げた。
国民は続けとばかりに、経済活動を走った。豊かになる為に走った。
オリンピック景気に後押しされて。
●昭和40年より5年間
いざなぎ景気に国民は走らせられる。
初任給の2倍に給料増加!なんてな相乗効果もあり、楽しそうに走っていた時代である。
●昭和47年
当時の田中首相が唱える「日本列島改造論」でまた国民は走る事を始めた。
●昭和49年
オイルショック等の打撃も加わり、首相退陣の後世界同時不況となる。
「夢よもう一度」と休憩期間・・・・・アイドリングしていた国民。
●昭和58年
現在の世界を形成したとも言えるハイテク景気に再び国民は走った。
やがて来た、防ぎ様のの無い円高不況の時も同じように走った。
そこまではまさに「国民全体でのマラソン」と記憶している。
しかし・・・・・
「世の中の常識」と言う箍が外れた瞬間、馬鹿げた景気は起こった。
●昭和60年代
バブル経済と言う怪物に、国民はマラソンの方法を忘れて「短距離競争」の様に走ってしまった。
街は形を変え、欲望が垂れ流しになり、人間がモラルを失った・・・・
その様は「薬漬けの患者」の如く、快楽の自由を国民はしゃぶり続けた。
まさに「冷たいいじめ」が毎日報道されるようになったのもこの頃・・・・・
「俺が!俺が!」と錯乱して買い物三昧の世の中。
その時代を振り返ると、その行為はマラソンではなく「暴走トラック」が走り抜けた状況であった。
そして国民が自分の足で走る事を忘れた時代でもあった。
15年程経過した現在も、走ったタイヤの後が消えないと感じている。
それは、それは恐ろしい時代であった。
今、その反省を唱える人は居ないが、ワタシは現場サイドで経験し、心から反省とともに感じている。
ある意味ワタシは「共犯者」でもあるので・・・・
会計事務所幹部連中は「厚生年金」をむさぼり食い、ボロボロにする要因を作った輩でもあったから。
「節税指導」「近い将来の年金アップの為の方策」
数えればきりが無いが、血税をむさぼるように仕向けた事は確かである。
だからワタシは皆がだらだら歩いている路と違う道を捜し、先陣を切るように再び走り始めた。
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景気対策成功!なんて嘘ばかりの報道・・・・・
政治家やマスコミは好景気を煽るが、結果が出ない。
その理由は単純なのではないか?
煽るだけ煽って、本人は走らない。
当然言われても実感が無いので、国民も走らない。
単なる傍観者ゆえに、その様は「餌を待つ雛鳥」。
国中そんな状況で、景気なんか良くなる訳が無い。
誰も走っていないからである。
それゆえにワタシは、東国原宮崎県知事が走った事に対して大喝采を贈りたい。
彼は人に非難されながら、ピエロの如く走っている。
毎日々ひたすら、自分が原野に向かって「宮崎広告ロード」を作りながら走っている。
宮崎県民も「追いつけ・追い越せ」と走る事を考え始めたのではないか。
そして、参加者が少しづつ増え、経済成長へとつながっているのではないか?
他の都道府県知事・市町村長はどれだけ走っているのだろうか?
日本の社長もどれだけ走っているのだろうか?
「不景気だから」「予算が無いから」
言い訳を垂れ流しして、責任回避をして、走らないで愚痴は一人前。
「皆で走ろう!」そんな発想が無ければ、どうしようもないのではないか?
だからワタシは、顧問先に対して「現場で」先頭を走って見せる。
走って失敗した結果の処理も大事だと思う。
それは「謝罪会見」
心の込もって居ない謝罪会見ばかりを見ていると、本当のランナーを見た時、心が熱くなる。
それなら、比内鶏偽装の事件の際、藤原誠一社長が行った謝罪の方が断然マシである。
世の中から見れば、ワタシのように走って居る人間の方が馬鹿なのかも知れないが・・・・
運動が嫌い・マラソンなんか以ての外
そんなワタシは、別な意味で永遠にマラソンを続けている。
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