izaブログで名を売らせて頂いた原点の「戯言」が書いてある「過去帳」です。
忘れたくない原点ですので、更新はしませんが、削除もしないスレッドです。
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赤塚不二夫さんにお別れ…タモリが弔辞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080807-00000221-sph-ent (8月7日14時25分配信 スポーツ報知) 本当に悲しい時は涙が出ない。 それをつくづく感じたタモリさんの姿を見た気がした。 タモリさんがどれだけ悲しかったのか、それは本人じゃないとわからない。 淡々と弔辞を述べる難しさは、経験した人間でないと判らない。 昨年5月、焼鳥屋を経営する友人が亡くなった。 突然の死だった。驚いたどころの話ではなかった。 一週間前に店に行ったばかりなのだ。 何時もの様に彼は仕事をほったらかしにしてワタシと飲んだくれたからだ。 ホモじゃないかと思われる位に抱きしめ合うのが「おやすみ」の挨拶だった。 痛いほどの力で握手をして、必ずこんな事をお互いに確認して別れた。 「俺が先に死んだらお前が、お前が先に死んだら俺が葬儀委員長だから。」 結果は残念な程に早く来てしまった。 奥さんから突然、一本の電話が来た。 「うちのが、うちのが。」 何を言わんとしているのかが判らなかったが、錯綜した言葉の意味は直ぐわかった。 取るものも取らずに、仕事を中断して奥さんの下に駆けつけた。 奥さんは顔を見るなり「うちの人との約束をお願いね」と手を握った。 ワタシは、まだ現実を把握出来ないまま、ただうなずいた。 15年目にしてやっと「仮住まいの店」から「自分の店」を持ったのに。 大好きな音楽を「焼鳥を焼きながら」良く聞こえる音響を整備してあげたばかりなのに。 その時に感じたものは、決して「悲しさ」では無かった。 ただ「信じたくない」だけだった。 そんな信じられない中で「葬儀委員長」と言う役割を担わせて頂いた。 奥さんと親戚の方々に、葬儀場の担当者と供に指示をさせて頂いた。 通夜を程なく終え、棺の前で酒を呑みながら答えの無い会話を友人とし続けた。 冷たくなった友人を前にしても現実は捕らえられなかった。 翌日、友人が骨となっても、まだ現実は捕らえられなかった。 不思議な事に、悲しいのだが涙が一粒も流れないのだ。 それは、現実として死を受け留めて居ないからかも知れない。 それは、亡くなった人間との暗黙の約束だったからかも知れない。 告別式が終わって、葬儀委員長の挨拶の際に、やっと現実が見えて来た。 「本日はご会葬有難う御座いました」 その言葉と供に葬儀委員長として役目を終えた瞬間、止め処ない涙が流れた。 嗚咽が続き、しばらくの間の記憶が無かった。 突然に嵐の様に襲って来た悲しさが、否応なしに現実を叩きつけて来た。 以上がワタシの「初めての葬儀委員長」での話である。 タモリさんはどうだったか判らないが、弔辞を述べ終えた時に、何か違う表情が見えた。 「この会場の隅で私を見ているかも知れません」 「私は赤塚不二夫の作品のひとつです」 この言葉がやけに重かった。 だから尚更「タモリさんは本当に悲しかったんだろう」と思った。 改めて赤塚先生のご冥福をお祈りしたいと思う。 ◇記事に関して何でもご意見を下さい◇ acchonpurike@k3.dion.ne.jp ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 【よかったらこちらもご覧下さい】 「iza」での今日の独り言 地元の人間として一言~前福島県知事・佐藤栄佐久さんの「収賄事件」を囁く ニュースを冒涜する馬鹿はブログを書くな~馬鹿なブロガーをつい嘆く 原発と原爆~原爆不発弾は点在する~「NoMoreHiroshima」をワタシなりに申し上げる PR
タモリさんは常々・・・
「俺はチャリティは嫌いだ」
「お涙ちょうだいの美談には裏がある」 とおっしゃてます。 だから、変に感情的にならず淡々と読み上げる (実はタモリさんが見ておられたあの紙は「白紙」だったようで) 姿に、彼のポリシーを感じました。 タモリさんといえば デビュー当時は「イグアナ」「眼帯姿」「ハナモゲラ語」 などなど「前衛芸人」の代表でした。 それが今や、多くの日本国民に愛される「お昼の顔」 赤塚氏のたどった道と真逆と言えるでしょう。 「動く赤塚作品」タモリさん 今後どのような進化をするのでしょう・・・ わかる様な気がします
「オフコースが大嫌い」「小田和正なんか」
そう言っていたにも関らず「笑っていいとも」に小田さんが出ましたね。 当時、テレビに出る事を嫌がっていた小田さん。 何となくタモリさんの本当を理解しての出演だったと思います。 >(実はタモリさんが見ておられたあの紙は「白紙」だったようで)姿に、彼のポリシーを感じました。 知らなかった・・・ 「もしかして」って見てましたが。 >「動く赤塚作品」タモリさん 今後どのような進化をするのでしょう・・・ もしかして、昔以上に最大な作品に化けるかも知れませんね。 赤塚先生を供養する意味で。
諸行無常の世の中です。
( ^-^)ノ(* ^-^)ノこんばんわぁ♪
私もバカボン世代の人間なので、本当に残念ですし「これで一つの時代が終わった…」と感じています。 ♪西から登ったお日様が、東に沈~む~♪ 当時小学生だった私は、真剣にそう思って理科のテストに書いていました (ノ´∀`) (当然担任からは怒られました、うちの親からも…) 「バカボン」以上に「おそ松くん」が印象的でしたね…特にイヤミとちび太が (・_・)ヾ(^o^;) オイオイ ゆさ管理人さんもお辛い経験があるようですね。 私も同じような経験を持っていますが、とあることがきっかけになって大学時代に知り合った友人とある日のことですが、講習会にて神戸に一緒に新幹線に乗って行きました。一緒に神戸牛を昼に食べて、お互いに笑って名古屋駅で別れました。それから帰宅して夕食後風呂に入ってからしばらくして電話がかかってきました。友人が風呂場で倒れて病院へ担ぎ込まれたということ。とりあえずは着替えて収容先の病院まで20-30分運転していた記憶がありますが、駆けつけた時にはすでにこの世の人では無くなっていました。久しぶりに会ったその日が最期の日とは…。さすがにショックでしたよ…_| ̄|○)) 告別式当日は涙が止まらなかったですわ。現実を受け入れたくない気持ちでいっぱい。 「悲しい」「悔しい」「どうして」…。 ゆさ管理人さんの気持ちはよく分かりますよ…。 奇遇ですね・・・
そうですか。
同じ様な過去をお持ちだったとは・・・・・ >「悲しい」「悔しい」「どうして」…。 それを通り越したタモリさんの姿を見た気がして、今日は書きたくなりました。 |
ゆさこをゐちはこんな奴
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ゆさこをゐち
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性別:
男性
職業:
発展途上企業応援団長
趣味:
作詞・作曲
自己紹介:
田舎では珍しい「企業の何でも屋」です。
サラリーマンの方でも結構です。何でもご相談を!
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