ワタシはお笑いが大好きである。特に関西芸人が大好きである。
日曜日に「笑点」を見てたら「大木こだま・ひびき」が出ていた。
すこぶる嬉しくて、いつかブログネタにしようと考えていた。
だからタイトルを「大木こだま・ひびき」にした。それだけである。
関西芸人は本当に独特のボケがあって大好きである。
大木こだまは「ボケ芸人」として
「も~わざわざ来てくれんでも良かったんや~。電話したら家まで行きまんねや!」
・・・で始まり
「そんな奴おれへんやろ~」
・・・と突っ込む
「無茶言うたらいかんわ~」
・・・でまたボケて
「おもろいやないかい~。腕上げたな~」
・・・と突っ込む
「んなこと言われたらアンタ、往生しまっせ~」
・・・で更にボケて
「チッチキチー」
・・・で芸を締める
はっきり言って「究極のワン・パターン芸人」の一例である。
でも、それが楽しくて仕方ない!
「わかっているパターン」
でも何度も聞きたい、見たい。だから素晴らしいと考える。
吉本新喜劇なんかは、そう言った意味では「究極のワン・パターン芸人の宝庫」である。
間寛平 「かい~の」「アヘアヘアヘアヘ…」「血ぃ吸うたろか」
島木譲二 「大阪名物パチパチパンチ 」
桑原和男 「ごめん下さい、どなたですか…お入りください、ありがとう」
池乃めだか 「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」
チャーリー浜 「ごめんくさい」「あ、こりゃまたくさい」「あーくさ~」「~じゃあ~りませんか」
吉田ヒロ 「ちちくりマンボ、ちちくりマンボ、ちちくりマンボでキュッ!」
井上竜夫 「おじゃましまんにゃ~わ」
末成由美 「ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃー」
・・・数え上げればきりがない。
更に極限を行けば・・・
村上ショージは「超ロングセラーのワン・パターン芸人」であろう。
たった一言「ドゥーン!」だけで30年以上食って居るのだから。
ブレイクした時期があったか無いかは別としても・・・
テレビ番組も同じかも知れない。
「水戸黄門」は昭和44年8月に放送を開始し、平成15年12月に放送1,000回を超えた。
再放送を含めると何万回と全国の皆様に親しまれた番組である。
これも「印籠オチ」の「永遠のワン・パターン番組」なのである。
主役を幾度か変えても、カラーテレビの歴史同様の40年弱愛される番組。
本当に素晴らしい事である。
「大岡越前」「太陽にほえろ」「映画・男はつらいよ」
主役が事情により交代出来なくて?消えてしまった「素晴らしきワン・パターン」もあるが・・・
今の世の中で、こんな番組は立ち上がるだろうか?
一抹の寂しさを感じるのは、ワタシだけであろうか?
それを考えると、商売も同じ事が考えられる。
同じモノを販売し続ける「越中富山の薬売り」
江戸時代から続き300年にも及ぶ歴史がある。
一般発売開始からもうすぐ100年「味の素」
庶民の食卓には必ず置いてある。
明治42年に発売された飲み物「サッポロ・リボンシトロン」・・・
他にも沢山あると思うが「何故、長い間愛されるのであろう。」と考えた。
それは「庶民が身近に感じられるモノ・簡単に手に入るモノ・必要なモノ」なのであろう。
林正之助は吉本興業を「企業」と捕らえ、昭和23年・49歳の時に社長就任した。
ロングセラーの掟としての「庶民が身近に感じられるモノ」を作った。
トップとして「お笑い」を「上場企業」にまで押し上げた。
「永遠のワン・パターン」と「超ロングセラーヒット商品」を見事クロスオーバーさせた。
企業として「永遠に朽ちる事ないお手本」を作り上げた事には間違いないと思う。
今更ながら考える。
やはりいずれも「永遠のロングセラー」は「永遠のワン・パターン」なのだろう。
ただ、それが何処にあるのかを考えると、非常に難しい。
多分「忘れていたピュアな感覚」を本当に思い出した時、それがつかめるのかも知れない。
吉本興業の将来を見た林正之助さん
味の素を開発した池田菊苗さん
忘れてならない「発明王・エジソン」
そして「長谷川町子・サザエさん」
皆、ピュアな感覚で、ロングセラーを開発したのだろうから。
Simple is Best
ワタシももう一度追求してみよう・・・
同年代の「さくらももこ・ちびまるこちゃん」に負けないように!
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