忍者ブログ
izaブログで名を売らせて頂いた原点の「戯言」が書いてある「過去帳」です。 忘れたくない原点ですので、更新はしませんが、削除もしないスレッドです。
[306] [305] [304] [303] [302] [301] [300] [299] [298] [297] [296]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

小1男児殺害、母逮捕=障害と育児「将来を悲観」-公園トイレで首絞める・福岡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080922-00000015-jij-soci
(9月22日9時37分配信 時事通信)



「障害を持つ子供の親」


確かに苦悩は絶えなかったと察する。


施設関連を業務に持つワタシは、現場の状況を見ても十分に察しはつく。
しかし、そんなありていとうな言葉で片付けてはいけないと思う。



「育児に悩んでいた」


それだけで我が子を殺害して良いのだろうか。


母親は「6年間の育児生活」をどうやって自分の中から抹消出来たのだろうか。
子供と自分との間に「思い出」は無かったのだろうか。



どうしても「様々な疑問」だけが残る。

単に「生活付属品の一部」だったのだろうか。
単に「自分の所有物」だったのだろうか。
単に「躾の適わなかったペット」だったのだろうか。



少なくとも「身内に相談出来ない自分の存在」ではなかったろう。

そして、親の存在と自分を照らし合わせる事は不可能だったのか。


少なくとも「血を分けた親子」ではなかったのか。

今までさんざん「泣いて・笑って・喧嘩して」来なかったのだろうか。


少なくとも「絆を感じ得る最高の産物」ではなかったのか。

首を絞めた瞬間の子供の顔は「親への信頼」で、苦しさを表現しなかった筈だ。



朝から切なくて涙が溢れて止まらなかった。
母親が子供を殺しても「気違い」としか呼ばれない今の世の中に哀しさを覚えた。

世の中で語られる何気ない意見でさえも「他人事」ばかり。

「やっぱり犯人は母親か」
何故そんな事ばかり言うのだろう。


様々な疑問と、様々なやり切れなさだけが残る事件だった。



この事件で「親子の絆」を世の中で再度考えて頂きたいと切願するだけである。



そう ・・・・・ 「子供と自分」を抱きしめながら。






◇記事に関して何でもご意見を下さい◇
acchonpurike@k3.dion.ne.jp





拍手[0回]

PR

コメント
血を分けた母と子
母と子は特別な人間関係だそうです。
ゆえに、子の問題は母親自身が抱える問題として同化するはずです。

この事件では子供の障害と母親の行動だけが報道され
二人の心まで掘り下げられることはおそらく無いでしょう。

命がけで生んだ子供を自分の手で殺してしまった。
その過程で母親がどんなに悩み苦しんで一人迷宮に入り込んでしまったのか、
本人しか分からないかも知れません。

私は、このような尊属殺人と自殺は同じものではないかと考えています。

どちらも許されるものではありませんが、
その過程で一人で悩み苦しみ心がどんどん閉じていく。
この時点で道理や理屈は心に届きません。
自分の存在自体が、邪魔であり、悪いことであり、最後は死ぬことしか
頭に浮かばなくなってしまいます。

その時そばに手を差し伸べてくれる人がいれば別ですが
そうは行かず、亡くなっていく人が毎年たくさんいます。

自分の命、自分の存在を認識し(認知行動)自分を大事にすること
それは同時に他人の命を大事にすることになるはずです。

男性が自分を認知することが苦手なのは問題ですね。ほら永田町にも
たくさんいらっしゃるじゃないですか、自己認知できない人々が。。

話がそれてしまいましたが、亡くなった子供さんのご冥福を祈るとともに
本当の意味で心のケアがみんなでできる社会ができることを望みます。
【2008/09/22 20:01】 NAME[ゆーぱぱ] WEBLINK[] EDIT[]
全く同感ですね
以前「生きてる事がつらいなら」での名コメント同様に感謝です。

本人でしかわからない苦悩が確かにあったと思います。
だから「もっと隣人に興味を持つ」事を世の中に薦めなくてはなりませんね。
つくづくワタシもそう思います。
【2008/09/22 20:12】
でも。
泣いて、笑って、喧嘩するっということが、全くできない状態もあるんですよ。こちらがどんなにぶつかっていっても全く反応を示してくれない・・・そんな症状の子供もいるのです。むなしいを通り越した気持ちになることも多々あります。
【2008/09/22 19:59】 NAME[母。] WEBLINK[] EDIT[]
確かに・・・
知的障害者と呼ばれる方々と業務で関りがありました。
その方々は「思い切り叩く」事で嬉しさを表現してくれました。
「自分の恥ずかしい処を誇示する」事で「好き」を表現してくれました。

それは、ある意味「体は健康」の下での表現だとコメントを頂き思いました。
寝たきりの知的障害を持つ方も、確かにいらっしゃいますね。
「認知症」の寝たきりの方もいらっしゃいますね。

なかなか難しい話ですが・・・
それでも「心を通わせる手段」として「抱きしめる事」を信じたいのです。
【2008/09/22 20:08】


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


トラックバック
この記事にトラックバックする:


忍者ブログ [PR]
ゆさこをゐちはこんな奴
HN:
ゆさこをゐち
性別:
男性
職業:
発展途上企業応援団長
趣味:
作詞・作曲
自己紹介:
田舎では珍しい「企業の何でも屋」です。
サラリーマンの方でも結構です。何でもご相談を!
もうひとつのブログです
「ありがとう!」コメント
[07/16 とうりすがりのもの]
[05/23 くじらいだー@]
[03/22 匿名希望らしいです(>.<)]
[03/21 タバコ]
[03/14 匿名希望らしいです(>.<)]
最新トラックバック
感謝! ご来場回数
お天気情報
アクセス解析